世界は沢山の愛で溢れているのかも。
- Akane Miyata
- 2022年4月23日
- 読了時間: 2分

勝手に胸が高鳴るような恋に「おちる」とは違い、愛するという言葉にははっきりとした主語がある。「愛を誓う」とか「愛し続ける」というように愛には自分の意思が存在している。恋とは全く違うモノなのかも。
そんな疑問から生まれた私なりの考えをここに書いてみる。
恋とは、相手が持つ所有物、容姿・性格・才能・富・仕事・家柄などの属性に価値を感じて一時的に高揚する、「相手に受容されたり相手を支配することによって、相手と一体化したい」と願う感情である。
それに対して、愛とは自分という存在の価値認識と成長意欲から生まれるものであり、相手がただ存在してくれている事への感謝ゆえに決断し、永続的な意思と洗練された能力によって実行しようと努力する、相手の幸福を願い成長を支援する行為である。
甘い言葉を沢山は吐いていたのに
時間が経てば冷める男女や
どうせいつか愛にも終わりが来るんだからと
語る大人たち。
そんな言葉や現象が起こっていることにどこか寂しさを感じていたけど
でもその一方で、そうではないと示してくれる人たちも周りにはいた。
私の中での「愛」の定義とは
勝手に変わっていく制御できない感情ではなく、
持ち続ける意思なのかも。
そしてそれは、ただ存在してくれている事への感謝。
顔がどうとか性格がどうとか、そんなことを全て取っ払って、ただその存在がこの世の中にいると思うだけで心が優しくなるような感覚。
そう考えると、「愛」は異性に対するモノだけではなく自分の周り沢山存在しているなとつくづく思う。
お母さんの子供に対する眼差し
どんなことがあってもそばにいてくれる友達
小さい子の笑い声
優しいカフェの定員さん
毎日オフィスの清掃をしてくれる管理人さん
晴れた空
最近家に来た植物のジョージ
家の前に咲いていたタンポポ
お母さんの服が緑で間違えてとまったてんとう虫
出したらきりがないくらい、
この世界には愛があふれているのかも。
人は案外、自分の持っている愛の種に気づいていないだけかもしれない
自分の持つ愛にこの世界のみんなが気付いた時、何が起こるだろう。
そんなことを考えながら、おさるの宮田は毎日を過ごしている🐒
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